「祭」と呼ばれる行事には、古来より「酒」が用いられています。
これは、「祭」という時間や空間が日常の生活とは異なるもの、
つまり「非日常」だからです。
「祭」という言葉は、本来から言えば、神を祀る(まつる)行為に用いる言葉です。
「非日常」の時間空間を、超常的な神が演出しているわけです。
その神の存在感を感じるために酒が用いられてきたのでしょう。
酒を飲む行為によって、気分を高揚させ、感覚を澄まし、感情を高ぶらせる。
酒によって、神との距離感を縮めるというその行為が、
「身を清める」ということであったのでしょう。
神との距離感を縮めるために、
非日常的な苦行のような行為を行う「祭」もあります。
その場合は、その苦行を乗り越える「景気付け」のためにも酒が飲まれたのでしょう。
さて、前にも書きましたが、ねぷたが「祭」という冠をつけたのは、戦後のことです。
ねぷたは、日本各地で行われていた
「眠り流し」という年中行事(類似例。正月や七夕)がその源流となっています。
津軽の「眠り流し」は、
旧暦七月七日に、川や海で七回水浴びし、七回飯を食うことで、
穢れ祓い(けがればらい)とし、一年の無病息災を祈念したものでした。
このとき、宗教的な神の存在はまだ希薄です。
先祖供養の信仰心が年中行事の動機となっていたようです。
ともあれ、この行事の際に、
身の穢れをのせて川に流す「なにか」が必要となったわけです。
それが「ねぷた灯籠」の原型であると推測されています。
その後、「ねぷた灯籠」が商人たちの資金援助を得て、豪華で風流なものへと進化するにつれて、
行事のメインも、「川に流す」ところから、「川へ運ぶ」に移っていったというわけです。
話を戻しましょう。
ねぷたで「酒」が飲まれるようになったのは、いつ頃のことでしょう?
不明です。
しかしおそらくは、「身を清める」ためにか、「景気付け」のためにか、
かなり古い時代から飲まれていたでしょう。
皆が集まって、何か行事を行うとなれば、やはりいろんな意味付けをして「酒」を飲むのが常でしょう。
「祭」と「酒」の結び付きはやはり強いと言えます。相性も良いと言えるでしょう。
しかしながら、この結び付きのデメリットがあります。
それは、安全管理=リスクマネジメントが難しくなるということです。
自動車の飲酒運転の危険性と同様です。
当然のことながら、「祭」に用いる機械システムが高度なハイテクであれば、
リスクマネジメントはさらに難しくなります。
最近、仕事で日本各地の「祭」関係者にお会いすると、
弘前ねぷたまつり2014年の事故について聞かれます。
淺草の三社祭の偉い方にお会いした時でした。
ねぷたの昇降・回転装置について説明すると、ピシャリと一言頂きました。
「祭にハイテクを用いるのは、難しいことだよ。」
全くもってその通りです。
祭・酒・ハイテクの3つを同居させるのは、当然ながら、危険と言わざるを得ません。
浅草三社祭では、「ハイテク」を用いないというリスクマネジメントをしているとも言えます。
先日、昨年のアクシデントを受けて、
弘前ねぷたまつり安全対策小委員会から安全指針の案が示されました。
運行責任者、交通誘導、先導、かじ棒、さしまたなど、
そして、もちろん昇降・回転装置に関わる人員の、
小屋出発時から小屋に戻るまで飲酒の禁止が明文化されました。
「祭」と「酒」の間に線を引くことで、「ハイテク」との三つ巴同居のリスクを減らすわけです。
主催者、市民、報道メディア、様々な目が、このルール順守を見ています。
一昔前、全国ネットのテレビ番組で注目を集めてしまった「カラスハネト」問題を思い出します。
「ねぶた」よりもある意味有名になってしまった「カラスハネト」という言葉のイメージを払拭するのに
は、多くの時間を必要とします。
インターネットの検索で「ねぷた」の関連ワードに、
「ねぷた 事故」という単語が出てこないようになるための取り組みは始まったばかりです。
「この正念場を如何にのりこえるか。」それがねぷたの担い手たちに、今、求められているのです。
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■yahooニュース(2015年3月20日(金) 14時20分掲載)
(http://news.yahoo.co.jp/pickup/6153633)