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カテゴリー:おもいで
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2014の思い出ー写真集ー12「頼りになる女」
こちらは本ねぷたの前かじ棒の様子!(^^)! うちの本ねぷたは前かじ棒に5人の精鋭を並べます。 そのセンターを務めるのは、ナント!女性です。 並み居る男子を従え、本ねぷたのコントロールを担います。
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2014の思い出ー写真集ー11「男子しっかりしなさいよ!(^^)!」
こちらは、組の前ねぷたの様子です。 昨年は、はるか、かすみ、みさき、みはる、あやの、ゆきの、ありさ、の女子の仲良し7人グループが来てくれたので、 そのまま全員一緒に組前ねぷたを引いてもらいました。
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2014の思い出ー写真集ー10「子どもたちの声に背を押され」
こちらは、扇の前ねぷたの前かじ棒!(^^)! 前ねぷたは、前灯籠を卒業した4才以上の子どもたちの現場です。 昨年の前かじ棒は、ひな、ふうか、かのん、くおん、たける、せいやが担当しました。
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2014の思い出ー写真集ー9「1人ひとり、一年いちねん、継いでいく」
うちの前灯籠に乗っているベイビーズたちです。上から、ななみ、はんな、りこ、あこ、らいか、です。 なぜか、みんな女の子ばっかり(●^o^●) こうして、ねぷたに参加している時は、兄弟姉妹みたいなもんです。
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2014の思い出ー写真集ー8「YOUTUBEでも見れるよね」
少し整理しましょ。 うちの団体の隊列は、前から前灯籠(ベイビーおり付)、扇前ねぷた(作るも引くも子どもたち)、組前ねぷた(俳句ねぷた)、本ねぷた(組=人形)、お囃子、さしまた(×6ヒーロー)となっております。
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2014の思い出ー写真集ー7「主役が楽しめなきゃね」
こちらは、扇の前ねぷたの前かじ棒の様子です。 4歳以上の子どもたちが担当しています。
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2014の思い出ー写真集ー6「わんどが守り通してみせる(`_´)ゞ」
うちの花形のさしまたです。 去年は、6本のさしまたを6人のイケメンが操りました。 合同運行のコースにさしまたで上げる電線なんかあったかな?と思うでしょ。 最近は電線が地中化されてあんまり見なくなりましたね。
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2014の思い出ー写真集ー5「DNA−遺伝子の為せる技」
お囃子の様子です。 手前の方がお父さんで、初代の頃から参加されています。 その奥に並ぶ男子二人が息子たち。立派に成人して二人とも結婚してます。
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2014の思い出ー写真集ー4「拡声器なんて禁止!(^^)!」
こちらは、HISSATUねぷた人名物の前灯籠、通称「BABY’S」です(゜゜) 上部は、うちの書家である高木大介が団体名を揮毫していますが、その下部はなんと3歳児未満を格納運搬するための「おり」がついているんです。
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2014の思い出ー写真集ー3「いわゆる《ねぷたノリ》が生んだ奇跡」
こちらは扇の前ねぷたです。 絵師はなんと中学校三年生!その名も白取瀬凪!(^^)! 小学校三年生つまり9才から前ねぷたを描いています。 本当に上手くなったもんです。
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2014の思い出ー写真集ー2「俳句!(^^)!?」
こちらは、人形の前ねぷたです。うちの二番手組師が制作の指揮をとりました。
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2014の思い出ー写真集ー1「猿龍背 知空高 遠地望」
あけましておめでとうございます。 正月休みを5日もとって更新をサボったら、誰も寄り付かないHPになりかけてます。
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「ねぷたクイズ」満点だった方いますか?
今日は大みそか。 ということで、第10問までねぷたクイズをアップしました。 この10問、今まで全問正解した人はわずか二人しかいないんです。
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「ねぷたクイズー解答」第10問
Q10.○ 2009年から2012年の調査で明らかになった。 推計で、おおよそ13700人から、11150人に減少している。
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「ねぷたクイズ」第10問
弘前ねぷたまつりでは、この30年間で参加する団体が20以上増加し、今では80を超える団体が参加している。 しかし、祭りに参加する参加者は約2000人ほど減少している。
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「ねぷたクイズー解答」第9問
Q9.× 弘前ねぷたまつりは、国指定重要無形民俗文化財であるため、県指定はかかっていない。ちなみに文化庁の文化財データベースでの弘前ねぷたまつりの記述には、誤った記載が多いので注意が必要。
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「ねぷたクイズ」第9問
弘前ねぷたまつりは、県無形民俗文化財に指定されている。
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「ねぷたクイズー解答」第8問
青森ねぶたは企業、弘前ねぷたは町内会と思われがち。だが、現在では、弘前ねぷたまつりに参加する団体の割合は町内会が5割強、企業が2割弱である。あとは知人友人縁による団体が3割ほどになっており、このタイプの団体が増加している。
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「ねぷたクイズ」第8問
弘前ねぷたまつりに参加している団体は、全て町内会を母体とした団体である。
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「ねぷたクイズー解答」第7問
Q7.× これはまつりの特徴を対照的に表した単なる「イメージ」であり、史実に基づいてはいない。ねぷたに関する歴史的な資料にはこのような記載が見られないため、これが言われるようになったのは、戦後以降ではないかと推測される。