第15回 「解体」―また来年作るための最初の作業―

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 最近は、津軽にも残暑なるものが存在するが、私が子どものころには、ねぷた祭りが終わると、大人たちが口をそろえて「もう秋だなぁ。」なんて言いながら、解体の作業をしていた。夏の終わりのわびしさと、祭りの終わりのさびしさを、同時に感じていたのかもしれない。数ヶ月にも及ぶ制作作業の末、やっとのことで完成した人形ねぷたの解体は、一緒に制作を手伝った小さな子どもがたまに泣き出すくらい切ない瞬間だ。そんな子どもを「壊すから来年また作れるんだよ。」と諭しながら、私自身その言葉を噛み締めている。解体という作業は、ねぷたの最後の作業というよりは、来年に向けた最初の作業でもあると私は思う。この作業によって、人形ねぷた組師の心と体と頭脳は真っ白な状態に戻され、「来年は何を作ろうかねぇ。」とまた一から動き始めるのだ。

 壊して作る。そしてまた壊して作る。この繰り返しをねぷたは、数百年にわたって行なってきた。そのことが、現在のねぷた制作の技法を確立させてきたのだ。この「壊す」という行為は、ねぷたの起源である眠り流しの習慣の「流す」行為に当たる。穢れ(けがれ)を込めた「何か」を川に流して祓い(はらい)、自らの身を清める習慣の、その「何か」が進化して、燈籠になったと考えられている。現在のねぷたには穢れではなく、制作や運行に関わる人々の様々な「思い」が詰まっていると私は思う。

先日、五所川原の立佞武多の関係者に、その思い出をとっておく、粋な小技を聞いたので紹介したい。各自、家から使わなくなったうちわを持ち寄り、水につけて紙を剥がす。そしてねぷたの解体のときに、ねぷたのお気に入りの部分の和紙をきれいに二枚切り取り、うちわの骨の両面に貼り付け、弧の部分に1・5㎝ほどのテープ上の紙を縦に折って貼りつければ、完成である。五所川原では、このうちわを大量に作り、協力者に配るのだそうだ。本来ならば破って捨ててしまう和紙を有効に再利用するナイスアイディアだと感心させられた。

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中川俊一 執筆コラム

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