第一回 はじめに
私は津軽で生まれ育った人間である。
夏は、ねぷたの制作小屋が遊び場だった。
そしてそこで多くのことを学ばせてもらった。
そして今では津軽地方のねぷた・ねぶたを事例に調査研究をさせて頂いている。
今回の原稿は、私が関わるねぷた・ねぶたについて、「豊かさ」なるものの説明を試みようと考えている。
まずは言葉を整理したい。
津軽に生活する方々はもちろん県外の方々も、「ねぷた」と「ねぶた」という二つの呼称が存在することは当然知っているだろう。
なぜ起源を同じくする祭の呼称が、このように二つも存在するのか。
今回の紙面ではこの謎について言及しないが、ねぷた・ねぶたという表記では都合が悪いので、今回は思い切って濁点も半濁点もつけずに、「ねふた」と表記しようと思う。
というのも、今回の紙面で論じたいと考えているのは、市町村単位で実施される祭り(例えば「弘前ねぷたまつり」)ではなく、津軽地方全域の「ねふた」を対象としたいからである。
(例外として、祭りの名称など固有名詞は、そのまま表記する。)
さて、誠に勝手ながら、表記方法を決めたところで、次は、「ねふた」という言葉が何を示すかを考えたい。
津軽地方ではこの言葉を二つの意味で用いている。
一つは祭りの名称として、もう一つはその祭りで用いられている灯籠の名称としてである。
というわけで、今回は祭りと灯籠という二つの側面に分けて論じていきたいと思う。