「ねぷた」と「ねぶた」の違い
さて、なんて答えますか?
「弘前はぷで青森はぶ」
まあ、こう答えますよね。
でも、高齢の方に多いですが、弘前でも「ねぶた」っていう人や青森でも「ねぷた」っていう人がいます。
特に酒の席で聞いたら、若者でもぷとぶが混ざったりします。
なんで、同じ津軽地方の同じような文化の名称が違うのか?そう考えたことはないですか。
この使い分けがいつから始まったか知っていますか?
それは30年ほど前の1980年頃ではないかと言われています。
それ以前は、弘前の祭りのポスターが「ねぶた」になっていたこともあるんです。
おそらくは、ねぷたでもねぶたでもどっちでもよかったんでしょうね、当時は。
では、どうしてこの二つを使い分けるようになったのか?
いろんな説がありますが、私はこんな推測をしています。
30年ほど前に何があったかというと、弘前ねぷたと青森ねぶたが国の重要無形民俗文化財に指定されています。
この指定に際して、使い分けが始まったらしいのです。
(一説には、当時使い分けをするという新聞報道があったらしいですが、、、誰か見つけたら教えてほしいです。)
さて、この国指定なんですが、弘前と青森が別々に指定されているんです。
文化庁のHPに文化財データベースというのがあります。
そこに、文化財の説明が記載されているんですが、これが奇妙な文章なんです。
実際に見て頂けるとわかりますが、弘前ねぷたから組ねぷた=人形ねぷたの存在が消えているんです。
私、これが気になって、当時の国指定の様々な文書を探し出したことがあります。
弘前市から出された申請文書には組ねぷたの記載が確かにあるんです、写真付きで。
ですが、国から返ってきた指定決定文書には、組ねぷたの存在が無いんです。
証拠に残る文書のやり取りの間に、口頭で何らかの口約束があったのではないかと思うんです。
おそらく、そのやり取りの中で、組ねぷたの存在が消され、合わせてぷとぶの使い分けも明確になったのではないかと思うんです。
なぜ、そんなことが必要だったのか。問題はそこです。
おそらくは、弘前と青森に、どうしても別個に指定をかけたかったのではないか。
そもそも、ねぷた・ねぶたは津軽全域で行われています。
ならば、「津軽のねぷた・ねぶた」で指定をかけても良かったはず。
なぜ、弘前と青森だけが、しかも別々の指定なのか?
謎です。
そこで、推測するのですが、もしかして指定件数を稼ぎたかったのでは。
1980年というのは、文化財指定制度が始まってからまだ3年目の年です。
指定の手続きも、現行とは違い、国の方から地方自治体にまずお伺いが届いています。
「そちらのあの文化に指定をかけようと思ってるんだが、調査書を作成して提出してほしい。」
という内容です。このお伺い、たぶん最初は県庁に届いたのではないかと思うんです。
そこから、市に話が下りてきた。
最初から国の方で、弘前と青森に別で指定をかけるつもりだったのか、県の方でその提案をしたのかは不明です。
いずれにしても、同じ津軽地方の同じような文化に別の指定をかけることになった。
その時、何が必要かというと、両者の文化が違うことを強調しなければならなかった。
だから、ぷとぶの使い分けを明確にしなければならなかったし、弘前の組ねぷたの存在を薄めなければならなかった。
そんな連想をしたくなるくらい、文化庁の文化財データベースの説明文は奇妙なんです。
インターネットですぐ出てきますんで、ぜひ、みなさんも読んでみてください。