
眠り流しとは、旧暦七月七日に、お盆を迎える準備として、
川や海で水浴びや火流しをし、自らの穢れを祓う習慣である。
日本の民族学の祖と言われる柳田国男が、
日本各地で行われていた眠り流しを調査し、実態を明らかにした。
この習慣がねぷたの起源であるという学術的な証拠は多い。
まず期日が一致していること。
昭和三十年代までは、津軽地方でも七日にねぷたを川まで運び、
火をつけて流したり、水浴びをしたりしていた。
今ではあまり行われなくなったが、言葉は残っている。
津軽地方では七月七日を「なのかび」と呼ぶ。
これを「七日の日」という風に思っている人も多いと思うが、
七日の水浴びを示す「七日浴び」という言葉の母音が省略されたものと考えられる。
さらに、ねぷたの最古の資料である、
津軽藩の武士、比良野貞彦が天明8年(1788)に書いた『奥民図彙』には、
「祢ぶたはながれろまめの葉はとどまれ、いやいやいやよ」
という当時のねぷたの囃子言葉が紹介されている。
この囃子言葉も日本各地の眠り流しの囃子言葉と非常に類似しているのだ。
そんなこんなで、ねぷたの起源は「眠り流し」というのが、定説となっている。
けれどもこれを知っている人は非常に少ない。
前々回と前回で紹介した田村麻呂と為信の説のほうがはるかに有名である。
ウソが広く知られ、ホントがあまり市民に知られていないという今の状況は、
ねぷたの地元として恥ずかしいと思う。
ちなみに、ねぷたの起源に関して、柳田国男と津軽の郷土史家の間で、論争が生じた時期が過去にはあった。
確かに、眠り流しがねぷたに強く影響を与えたもので起源がほかにあるという可能性が無いわけではない。
けれども論証の無い奇説や異説は、ねぷたの意義役割を狂わせてしまう。
ねぷたの謎の部分を空想するのはいいことだと思うけれども、
それがねぷたを良い方向へと導くものであってほしいと思う。
次回は、ねぷたと七夕の関係性について述べていく。
参考文献 藤田本太郎氏著作『ねぶたの歴史』
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