第16回 「ねぷたのウソ・ホント」最終章

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「ねぷたのウソ・ホント」と題して書かせて頂いたこの連載も今回が最終回となる。

ねぷたの起源や成り立ちのウソとホントを紙面にて紹介していくことで、

「ねぷた」という津軽独自の文化をよりよく知っていただければという思いでここまで執筆をしてきた。

 

自他ともに認める「ねぷた馬鹿」であろう私が、先達の研究によって明らかになったねぷたの歴史を通して、

現代のねぷたに投げかけたいのは、「ねぷたはもっと 自由なものではなかっただろうか。」という問いである。

 

今の時代にねぷたの「伝統」として認識されている事柄は、

実は近代の明治の頃の「流行」であるもの が多い。

武者絵の流行や扇ねぷたの考案などがその例だ。

 

この時代に生じた変化が、ねぷたの変えられざる伝統として、現在まで君臨している。

こういった変化 は、一年に一度ねぷたが作られるというサイクルの中で、

ねぷたを作る者が起こし、それを見る社会が認めた、「進化」とも言える。

 

ねぷたはこのような進化を 幾度も繰り返し、今のスタイルがあるのだ。

しかし、現代という時代は、ねぷたの題材や形状を、変えられざる伝統として、その進化を許さない。

進化の歩みを 止められ、創造性を奪われたねぷたは、「作る」喜びを失いつつあるように見える。

(多くの人がねぷたは「買う」ものだと考えてはいないだろうか。)

 

私は、 幼少の頃から、ねぷたの、特に人形ねぷたの制作に関わってきた。

その一連の作業をよくよく考えてみると、確かに難しい作業もあるが、

紙貼りや色付け、電気 の配線など、やり方さえ一度覚えれば誰にでもできる作業が多いと感じる。

 

私が「ねぷたは皆で作るもの」と考えるのは、

連綿と受け継がれてきたねぷた制作の 技法がそれを証明していると思うからだ。

 

殺伐とした事件が当たり前のように発生してしまう現代という時代は、

地域社会の力が衰弱してしまった時代ではないかと感じる。

 

ねぷたを、観光資源として捉えるばかりではなく、

文化資源としてその意義役割をしっかりと考えなければならない。

そんな時期をねぷたは迎えているのではないだろうかと、私は思うのだ。

 

陸奥新報連載【ねぷたのウソ・ホント】

最後までお読みいただきまして、誠に有難うございました。

合わせて他記事もお時間の許す限り、ごゆっくり御覧ください。

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中川俊一 執筆コラム

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