第1回 ―「作る」ということ―

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もう聞きなれてしまった「異常気象」のせいか、例年よりも雪少ない今年の冬
ではあるが、それでも春の足音はまだ遠く、ねぷた祭りはまだまだ先のことの
ように思えるこの季節。
けれども、私の心はすでに夏の夜へ思いを馳せている。

私事ではあるけれど、今、心の中で思い描いているのは、今年のねぷたの題材や
構図ばかりではなく、誰がどこを担当するか今年のねぷた制作の布陣もあれや
これやと模索している。
特に今年は、人形、見送り絵など随所に若い人材の起用を考えている。

団体のメインである本ねぷたの人形ねぷた制作に、昨年まで前ねぷたを制作して
いた若手を抜擢し、見送り絵にも、昨年まで台座部分の絵の制作を担当していた
若手二人を抜擢。
何年かぶりに前ねぷたを扇ねぷたで制作し、鏡絵を誰が描くかなどと考えを巡ら
している。

こうしてねぷた制作の布陣を全て自前で編成できることは、私達のねぷた団体の
誇りである。
それを可能にしてきたのは、「みんなでねぷたを作る」という団体創設時からの
体制のおかげだと思う。
この体制によって、ねぷた小屋は、社会教育の場としての機能を大いに発揮する。

見よう見まねで子どもたちが紙貼りやら色付けやらを手伝いながら遊ぶ。
そのうち、自我が芽生えプライドをもって作業と向き合うようになる。
そして、その技術はまた次の子どもたちへとつながっていく。
私自身、幼いころから、そこで多くの人に囲まれ、支えられて、実に様々なことを
学んだと思う。

共に作り、共に祭りを楽しみ、来年また共に作るために、共にねぷたを壊す。
このサイクルを繰り返していると、ねぷたは「作る」ことが主役の祭りなんだなと
いつも感じる。
この行為にこそねぷたの正体が隠されているような気がしてならない。
今回の連載では、私が学んできた人形ねぷたを「作る」ための技法とその魅力を
紹介していこうと思っている。

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中川俊一 執筆コラム

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